第1話 病院は葬儀屋の草刈り場

朝8時30分。
「おはよう!」
学徳医科大学付属病院(東京都豊島区)の地下にある霊安室の事務所、それが木野敬(きの たかし 37歳)の勤務地である。

「おはようございます」
事務所には木野の部下、田中雅之(35歳)と舟木賢二(26歳)の二人がいた。

「昨日はどうだった?」木野が田中に声を掛ける。
「いやあ忙しかったですね」田中は疲れた表情で答えた。
「そうか、ご苦労さん」
「三件出たんですけど、二件決まりましたよ」
「そりゃすごいな!」
「全然寝られなかったですけど、二人でがんばりましたよ!」
舟木も眠そうながら充実感いっぱいの顔で言った。

木野は高校卒業と同時にシティホテルに就職したが、お得意さんだった片倉良造(67歳)に誘われ、片倉が経営する株式会社誠心葬祭(せいしんそうさい)に転職をしていた。

180センチある身長に加え、髪をサイドバックに決めた顔つきはホテルマンに打って付けの清潔感溢れるいい男である。
シティホテルには10年ほどいたが、転職してすでに9年が経ち、社員22人の誠心葬祭で中心的な存在になっていた。

葬儀業界では仕事を受注するために病院に入り込み、霊安室を管理させてもらうことが多い。
しかし民間の大病院に入り込むためには莫大な寄付金を用意し、病院内で毎日顔を合わせる看護婦たちに気に入られるよう日々の努力も欠かせない。

誠心葬祭もご多分に洩れず、かなりの犠牲を払って都内でも有数の大病院である学徳医科大学付属病院の霊安室を任せてもらっている。
そして24時間体制で霊安室に詰め、病院で亡くなった患者が出ると、ナースステーションから連絡が入り、病室へと迎えに行くのである。

遺体は一旦地下の霊安室に安置され、それから病院を出ることになるのだが、その時に世話をする誠心葬祭としては、遺族に対する最高のセールスの機会であり、ほとんどの場合、遺族が最初に話をする葬儀社という恵まれた立場にある。

木野は2年前より事業部長としてこの霊安室の責任者になり、それ以来かなりのペースで業績を上げてきた、やり手の営業マンとして社内、病院内でも評判であった。

「ちょっとナースステーションに行ってくるよ」
木野がそう言い残し、両手に大きな紙袋を持って霊安室にある小さな薄暗い事務所を出て行った。

「おはようございます!」木野は病院の一階にあるナースステーションを訪れた。
「あら、木野さんおはようございます」
相手はこの病院の婦長、斎藤静江であった。
斎藤はとっくに40歳を超えているが、バッチリ化粧をして、白衣を着ていなければクラブのママといった容姿である。

「婦長、例の発売日、確か今日でしたよね」
「そうなのよ、どうしようかと思って……」

「何言ってるんですか、任せておいて下さいよ」
「えーいいの?助かるわぁ」

「とんでもありません。婦長のためならたとえ火の中、行列の中ですよ」
「あら、オホホホ」

「あっ、それからこれ」木野が持っていた紙袋を一つ差し出した。
「いつも悪いわねぇ。ちょっとみんな、木野さんからよ」

斎藤は振り返り、看護婦たちに声を掛けた。

「わーい、木野さんありがとう」
看護婦たちが集まってきて、紙袋の中に手を伸ばした。中にはたくさんのストッキングが入っていた。
看護婦たちは色やサイズを選ぶと、一人4、5足のストッキングを手にして持ち場へ戻った。

「木野さん、すいませーん」
彼女たちは口々に木野にお礼を言った。木野はその様子をうれしそうに見ていた。
「婦長、それじゃ上にも持って行きますので、これで失礼します」
「そう、ありがとう」斎藤は笑顔で答えた。


次に木野が向かったのは六階のナースステーションだった。

「おはようございます!」木野はズカズカと中に入っていった。
「あっ、木野さんおはようございます」
「恵ちゃん、元気にしてる?」
「ここのところ夜勤がきつかったから、ちょっとお疲れモードかな」
「でしょー、がんばり過ぎると美容に良くないよ」
そう言うと、木野はポケットから一本数千円する滋養強壮剤を取り出した。

「わー、ありがとうございます」
木野と親しげに話をしているのは、看護婦の中でもベテランの相崎恵であった。

「木野さん、おはよー!」木野と恵が話しているところに、今度は伊藤さゆりが近寄ってきた。
「よう、さゆりちゃん、おはよう。ありゃあ?さゆりちゃん、ちょっとケツがでかくなったんじゃない?」
「えー、うっそー?」
「座ってばかりで楽してんじゃないの?」
「もー木野さん!そんなことありません!それよりお土産は?」
さゆりは頬を膨らませながら催促をした。

「はい、はい、わかってますよ」木野は目の前のデスクの上に紙袋をドンと置いた。
「やったー!木野さんサンキュー!」
二十歳そこそこのさゆりは何の遠慮もなく、喜んで紙袋をあさり始めた。
ここでも看護婦たちが集まってきて、ストッキングを選び出した。

肉体労働の看護婦たちにとっては、お菓子なんかを持ってきてもらうより、すぐダメにしてしまうストッキングなどの方がよっぽどありがたい。
木野はそれをちゃんと知っていた。


「木野さん、ちょっと……」そんな中、恵が木野の腕を取り、隅の方に移動した。
「今晩[キッス]なんですけど、どうです?」恵が小声で木野に耳打ちをした。

「何人?」
「四人なんですけど……」

「……オッケー、いいよ」
「本当ですか?それじゃ八時から行きますので!」

木野は恵の肩をポンと叩いてナースステーションを後にした。

霊安室にある事務所に戻った木野は、
「おう舟木、ちょっと頼まれてくれ」
昨晩一睡もしていないため、目にクマができている舟木に声を掛けた。
舟木は誠心葬祭に入社してまだ一年足らずの若手だが、木野を尊敬し、どんなに大変な時でも泣き言ひとつ言わないがんばり屋であった。
そんな一生懸命な舟木を木野もかわいがっていた。

「何ですか?」舟木が聞くと、木野は財布から一枚のカードを取り出し、舟木に渡した。
「松木匠ファンクラブ?松木匠ってあの人気俳優の松木ですか?」

舟木はカードをもの珍しそうに見ていた。
「そうだ。今度ファンクラブの集いがあって、婦長が生きたがっているんだよ。
それで今日、そのチケットの発売日なんだけど、松木匠のファンてすごい熱烈だからよぉ、並ばないと買えないらしいんだよ」
「はぁ……」

「それでお前、今日泊まり明けだろ、売り場に行って買ってきてもらいたいんだ」
「マジですか?」

「頼むよ、この会員証があれば買えるからさ」
「……わかりました」舟木は少し辛そうな顔をしながらも了承した。

「あれ?これ木野さんの会員証ですか?」
会員名の欄には木野の名前があった。

「木野さんも松木匠のファンなんですか?」
「そんなわけねーだろ。婦長がファンだって聞いていたから、こんなこともあると思って入っておいたんだよ」

「さすが木野さん、やりますね」
「他にもこんなに入っているんだぜ」

木野は財布の中から何枚もの会員証を出して舟木に見せた。
それは若い看護婦が好きそうなアイドル歌手から、医師たちのためのグラビアアイドルのファンクラブまであった。

「へぇー、すごいですねえ」舟木が感心したように言った。
「それじゃ、ここが売り場だから、今から頼むよ」木野が小さなメモを舟木に渡した。

「わかりました。それじゃ行ってきます。」
「おう、変えたら、四、五枚買っておいてくれな。それと領収証忘れずにな、誠心葬祭で」

「わかりました」舟木は眠い目を擦りながら病院を出て行った。


>>第2話「口八丁手八丁」へ続く





 

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