「ただいま」
「お帰りなさい、お疲れ様でした」
木野と清水が事務所に戻ると、チケットを買いに行っていた舟木が先に帰って来ていた。
「おう舟木、チケット買えたか?」
「はい、4枚ゲットしました」
「そうか、よくやった」
「それにしても木野さん、すごい行列でしたよ」
「そうだろ」
「しかもおばちゃんばっかりで、いっしょに並んでるのがメチャクチャ恥ずかしかったですよ。
それにチケット代高くて、立て替えたら財布の中がすっからかんになっちゃいましたよ」
舟木はすこしおどけて木野にチケットを渡した。
「ハハ、ご苦労さん。まあ、愛しき婦長殿に喜んでもらうためだ、なあ」
「そうですね、婦長といえば看護婦連中のボスですからね。
これで喜んでもらえれば、きっと良いことがありますよね」
「もちろんだよ。ああ見えて婦長は結構義理堅いからな」
木野を普段から慕っている舟木には、木野の考えがすぐにわかった。
「それじゃ、舟木、もう上がっていいぞ。昨日寝てないのに遅くまで悪かったな」
「はい、ではお先に失礼します」
「あっ、そうだ舟木。夜は何か用事があるのか?」
「いえ、これから帰ってひと眠りしたら、夜は別に何もないですけど」
「そうか、飲みにでも行くか?」
「えっ?いいですね」
「じゃあ、後で電話するよ」
「はい」
この日はその後、霊安室に動きはなかった。
木野は夜10時になると、泊まり勤務の社員に後を任せ、病院を出た。
「お疲れ様です」
「おう」木野は舟木と池袋駅で待ち合わせをしていた。
「どこ行きます?」舟木が聞くと、木野は、
「ちょっと1軒顔を出さなくちゃならないとこがあるんだよ」
「どこですか?」
「ああ、[キッス]って店なんだけど、めぐみちゃんたちが行ってるんだ」
「相崎さんたちがですか?」
「そうだ」
「やったあ!看護婦さんたちと飲めるんですか?」
「まあな……」
「それじゃ早く行きましょうよ」
何も知らない舟木はうれしそうに浮かれていた。
「それにしてもこんな時間からの見に行くなんて、看護婦さんたちも遅くまで仕事が大変ですねえ」
「いや、連中は8時から行ってるんだ」
「ええっ?8時からですか?だってもう10時過ぎですよ。帰っちゃってるんじゃないですか?」
「いや、まだ帰っていない」
「それにしたって、もっと早くから僕たちも行けば良かったじゃないですか」
「……」木野はすこし微笑むだけで何も言わないでいる。
「早く行きましょうよ」舟木が木野の上着を引っ張り、催促した。
歩くこと10分。やっと店に着いた。
舟木は足早に木野より先に店に入っていった。
店内は暗く、長い通路の先に席があるようだが、中は入り口のところからはよく見えない。
しかしやけに派手な音楽だけは響き渡っていた。
「いらっしゃいませ。ああ、これは木野さん、いつもどうも」
店のマネージャーらしき黒服を着た店員が出てきた。
「来てるだろ?」
「はい、4名様でお見えです。かなり盛り上がっていますよ」
「そうか……」
「入って左奥のテーブルです」
「わかった。サンキュー」
木野は両手で耳を抑え、しかめっ面をしている舟木を従えて、教えられたテーブルへと足を運んだ。
「えっ!」
店の中まで来ると舟木が声を上げた。
舟木の目には暗闇の中、何色ものスポットライトが当たりパンツ一丁で踊る、筋肉モリモリの男性外国人ダンサーたちの姿が飛び込んできた。
その外国人ダンサーたちは大音響の音楽に合わせ、踊りながら客のテーブルを練り歩いていた。
”なんだこの店は!”
舟木は目を白黒させ、動けなくなっていた。
木野は何事もないかのように、どんどん進んでいく。
その木野の進む方向の先に、ダンサー3人に囲まれ、ひときわ盛り上がっているテーブルがある。
木野はそのテーブルより少し離れたところで立ち止まり、様子を見ていた。
しばらくして、ダンサーたちはかなりのチップを得たらしく、満面の笑みを浮かべながらテーブルを離れていった。
「木野さん、どうなってるんですか?」木野のところに少し遅れて舟木がやってきた。
木野は聞こえないフリをして、今盛り上がっていたテーブルに歩み寄っていく。
「よう!」
「木野さ~ん!待ってたのよー!」
「わーい、木野さんだあ!」
木野に気付いた、そこに座っている女性たちから歓声が上がった。
そのテーブルは紛れもなく、学徳医科大病院の看護婦4人がいる席だった。
「ねえ座って!」
「ああ、こいつもつれてきたんだ」木野は舟木の腕をグイと引っ張り、4人の前に立たせた。
「あらあ、舟木君も?うれしいわあ」声の主は相崎恵だった。
「舟木さん、あたしの隣に座って!」
いっしょに来ていた伊藤さゆりが舟木の手を引き、自分の横に座らせた。
「舟木、モテモテだな」
木野は恵の隣に座って、舟木に言った。しかし当の舟木はなぜか憮然としていた。
「とりあえず乾杯しましょう」
恵がそう言って、テーブルにあった高級ブランデーのボトルを手に取り、水割りを作り始めた。
「それじゃカンパーイ!」
恵の発声で、みんながグラスを目の高さまで上げて乾杯をした。
舟木は一応グラスを上げたが、まだ憮然としている。
そして、ブランデーの水割りを一気に飲み干してしまった。
「わー舟木さん強いんですね。それじゃもっと濃くしますね」
舟木の態度を全く気にする素振りもなく、さゆりが舟木のグラスを取り、お代わりを作り始めた。
「それじゃ木野さん、私たちは明日が早いので、これで……」
「ああ、そう、それじゃ気を付けて帰るんだぞ」
「はい、いつもごちそう様です」
恵が木野に挨拶すると、他の3人もめいめいに木野にお礼を言って席を立った。
「じゃあ、舟木さん、また飲みましょうね!」
さゆりは木野に挨拶した後、舟木にそう言ってウィンクをしながら席を離れた。
「……」舟木は返事もせず、頷くだけだった。
そしてさゆりが作ってくれた水割りを口にし、彼女たちの後ろ姿を目で追っていた。
「ふう、相変わらずすげえパワーだな」木野はポツリと言って、水割りを飲み始めた。
「木野さん、一体どういうことですか?」
舟木の問いに木野が答える。
「どうって、見てのとおりだよ。連中は別に俺たちと飲みたいわけじゃないんだ。
俺が誘われたのは『支払いよろしく』ってことだよ」
「はあ?なんですかそれ?」舟木は納得いかないといった顔で水割りをまた飲み干した。
「だからな、恵ちゃんが8時に行くって言っていたから、帰る頃を見計らって来たんだ」
「そういうことだったんですか」
舟木は木野と自分の分の水割りを作りながら、少し理解したようだった。
「しかし、白衣の天使と言われている彼女たちが、これですかねえ」
舟木がずっと憮然としていたのは、彼女たちのあまりにも節操のない姿が許せなかったためだった。
「舟木、病院と良好な関係を保っていくのは大変なことなんだよ。
とにかく彼女たちにはどんなことがあっても、俺たちの味方になってもらわないと困る。
そのことを忘れるなよ。使った金は死に金にしてはならないんだ」
「確かに彼女たちに助けられたことは何度もありましたけど……」
「そうなんだよ」
「すいません、木野さんの気持ちもわからずに、さっきは変な態度を撮ってしまって……」
「まあ気にすんな。よし、俺たちもここを出て、他でも飲み直すか。そろそろ行かねえとまたショータイムが始まって、騒がしくなるからな」
「はい」
二人は[キッス]を出ると、池袋の繁華街に消えていった。
>>第4話 心付けの意味するものへ続く