「カンパーイ」
ここは学徳医科大病院から歩いてすぐのところになる、割烹料理や[秀]の個室である。
この夜、限られた人数で密かに中森美由紀の歓迎会が催されていた。
この歓迎会は木野が相崎恵に根回しをして実現した。
出席者は看護婦が主役の美由紀、それにめぐみ、伊藤さゆりが来ていた。
そして誠心葬祭側からは木野の他に先日手柄をあげた田中、そして舟木が同席していた。
恵から今回の歓迎会の話があったとき、美由紀は気乗りがしなかった。
しかし、恵は普段いろいろとおねだりをしている木野からの依頼だったので、何とかしなければと、半ば強引に美由紀を説得し、連れてきたのである。
「中森さん、こいついい男でしょ。おばさんキラーだから、ご主人を亡くされて落ち込んでいる奥さんはイチコロなんですよ」
「本当に百発百中ですよね。俺も田中さんみたいな顔に生まれたかったなー」
木野と舟木が田中をネタに場を盛り上げようとしていた。
「でも田中さんだと遊ばれそー」
さゆりがいつもの調子で話に割り込んできた。
「そうでしょ、さゆりちゃんみたいな娘は、僕みたいに誠実な男がいいんじゃない?」
「舟木、お前のどこが誠実なんだよ。この前だって、ほら、34歳の女性が亡くなったとき、霊安室でお前遺体の胸を触ろうとしてたじゃねえか」
「ちょっと、田中さん、勘弁してくださいよ。浴衣がずれてたから、直してあげようとしただけじゃないですか」
「どうだか」
「……」田中と舟木の行き過ぎた会話に、美由紀は呆れていた。
「あ、あのう、そう言えば木野さん、最近は看護婦さんたちと飲みに行く機会がめっきり減りましたよね」田中は美由紀が引いているのに気が付き、話題を変えた。
「そうだな、ここのところ花見の場所取りとか人気焼き肉店の予約とか、看護婦さんたちのマネージャーみたいだったものな。ねえ、恵ちゃん」
「またあ、そうだったかしら?」
「今年の花見のときなんか大変でしたよ。家具センターでじゅうたん買って持ち込んで、カラオケレンタルして、上野公園で一番優雅なお花見会だったでしょ?」
「あれ、舟木さんが準備してくれたんですか?もう最高の座り心地でしたよ」
「そうでしょ、さゆりちゃん。俺、がんばっちゃったからさ」
「でも途中で雨が降ってきて、そのあとは最悪」
「そんなの俺のせいじゃないよ!」
「中森さんはお酒いける口なんですか?」話にのってこない美由紀に、木野が話し掛けた。
「少しは飲めますが、普段そんなに飲みません」
「ワインは好きですか?」
「ええ、ワインはたまには飲みますけど」
「青山に美味しいワインばかり取り揃えているフレンチのお店があるんです。
人気があっていつもいっぱいなんですが、オーナーを知っているもんですから、電話を入れておけば、良い席を用意してくれるんですよ。
今度いかがですか?」
「ええ、でも仕事が忙しいですから」木野は誘いをあっさりと断られた。
「木野さん!じゃあ私が行く!」
「さゆりちゃんは仕事忙しくないの?」
「ぜーんぜん」」
「こら、さゆり、そんなこと言うんなら、シフトもっときつくするからね」
「あー、相崎さん、うそですよー」
美由紀の歓迎会も2時間半が経ち、お開きになった。
「木野さん、ごちそう様でした。私とさゆりは同じ方向なので、一緒にタクシーで帰りますね」
恵がそう言い残し、さゆりとタクシーに乗り込んだ。
田中も、
「それじゃ、僕と舟木は電車で帰りますので、木野さん、ここで失礼します」
と、舟木の腕を引っ張った。
「えー、田中さん、もう一軒行きましょうよ。ねえ、木野さん」
木野が美由紀に行為を寄せているのを知っている田中と恵の暗黙の協力を、何も知らない舟木がぶち壊そうとしている。
「いいんだよ、今日はもう帰るぞ」田中は舟木を強引に連れ、駅の方へ帰っていった。
「な、中森さん、それじゃタクシーでお送りしますので、一緒にのりませんか?」
美由紀と二人きりになった途端、木野はオドオドしていた。
「いえ、私もまだ電車があるので、電車で帰ります」
「そんな、いいじゃないですか。今日は中森さんの歓迎会なんですから、ちゃんと最後までお世話させてください」
木野の言葉に美由紀の目が急にきつくなり、木野を睨んだ。
「なんで私が葬儀社の方たちに歓迎会をしてもらわなければならないんですか?」
「何でって……」
「私、はっきり言って葬儀社の人嫌いなんです。無神経で、思いやりがなくて、ただの金の亡者、そんな人ばかりじゃないですか!」
「……」美由紀の強い口調に木野は返す言葉が見つからなかった。
「とにかく、今日はせっかくですからごちそうになります。
でも、金輪際ご一緒させていただくことはありませんので、それじゃ失礼します」
美由紀は木野に背を向け、駅の方に歩き始めた。
「……ちょっと待って!」
木野が美由紀を引き留めた。美由紀は歩を止めたが、振り向きはしなかった。
背を向けたままの美由紀に、木野が絞り出すように話す。
「なんでそんなに俺たちを目の敵にするんだ?俺が君に何をしたって言うんだ?」
「別にそんなこと言ってません。ただ、あなたたちのような人種とは付き合いたくないといっているんです」
美由紀が振り向きざまに言う。
「ちょっと聞き捨てならないな。君は葬儀社に勤める人間に対して、偏見の目で見ているじゃないか」
美由紀のかたくなな態度に、木野もとうとう我慢の限界が来た。
「確かに俺たちは利益を追求している。でも、それは会社として当たり前のことじゃないか。
田中だって、舟木だって、みんなおちゃらけてあんなことを言っていたけど、解剖の手伝いや看護婦たちのご機嫌取りなんか、誰だってやりたかないんだよ。
でも、仕事だと思って、会社のためになると思って、我慢して一生懸命やっているんだ。
俺たちはボランティアじゃない、その見返りを求めて当然じゃないか!」
木野が捲し立てるように言うと、美由紀は一転して静かに話しだした。
「私の父は私が中学生の時に病気で亡くなりました。うちは親戚があまりいなくて、母はどうしていいか途方に暮れていました。
お葬式のことなど何もわからないし……そんなとき、病院の葬儀社の人が母に親切そうに言い寄ってきて……母は仕方なくその葬儀社にすべてを任せることにしたんです。
結局家族だけのお葬式だったのに、葬儀代500万円も取られたんですよ!」
「……」美由紀が急に身の上話を始めたことに木野は驚き、ただ黙って聞いていた。
「父が家族のために残してくれた生命保険のお金、ほとんど持っていかれたんですよ!
お金があれば……その後、母はあんなに苦労しなくても良かったかもしれない……」
「……」
「私は中学生だったから、そのときはよくわかっていなかった。でも、看護婦になって葬儀社の汚いやり方を目の当たりにして、やっとわかったわ。
母も被害者だったんだと……許せない……何であなたたちはお金に困っている人まで苦しめるようなことを平気でやるんですか?
会社だから利益を追求して当たり前?人の弱みに付け込むような人たちに、そんなこと言う資格なんてないわよ!」
美由紀は目に涙をためながら木野を睨み付け、そう言い残して走り去っていった。
美由紀は前に勤めていた和正会病院で、出入りの葬儀社に反感を持っていた。
自分のところの利益しか考えない悪徳なやり方が許せなかったのだ。
だから自分がお世話をしてきた患者がなくなると、家族には他の良心的な葬儀社を探すよう進言していた。
不審に思ったその葬儀社は、同僚の看護婦を買収して美由紀の行動を掴み、病院に抗議した。
癒着関係にある病院の役員はその抗議に対し、やむを得ず美由紀を解雇したのだった。
木野は走っていく美由紀の背中を見つめ、考え込んでいた。
”確かに俺たちのしていることは、人には言えないことが多い。
しかし、悪いことをしているとは思っていない。
何も知らない、いや知ろうとしない方が悪いんだ。黙って金を払う方が悪いんだ”
そう自分に言い聞かせていた。
しかし、美由紀の言葉が頭から離れない。
自分たちのせいで苦しんでいる人たちがいた。そんなこと、今まで考えたことがなかった。
木野はこの仕事をするようになって、初めて心が痛んでいた。
>>第9話 背任行為へつづく