第2話 口八丁手八丁

 

『トゥルルル……』しばらくすると事務所の電話が鳴った。

「はい、霊安室です」電話には遅番で出勤していた清水浩市(32歳)が出た。
「はい、はい、わかりました。911号室の山口様ですね、すぐに伺います」

「木野さん、出ました」清水は受話器を置くと木野に声を掛けた。
「よっしゃ、行くか!」木野の顔が引き締まった。

木野と清水は事務所の壁に掛けてあった白衣を着ると、遺体を運ぶストレッチャーに真新しいシーツを掛け、枕を用意した。


霊安室は観音扉になっており、そこから出ると長い廊下がある。
壁は白くペイントされているが、薄汚れている。


二人はストレッチャーを押し、エレベーターへと向かった。
途中、廊下の左右には機械室や検査室などが並んでいるが、扉はすべて閉まっており、中は見えない。
人影もまばらで、病院の関係者がたまに検査室に出入りするだけである。
エレベーターに乗り、九階で降りたところで、ちょうど病室から看護婦が出てきた。

「もういいですか?」木野が聞くと
「ええ、今終わったところですから、いいですよ」その看護婦は答えた。


この病院で亡くなった場合、若い看護婦が死後の処置をする。
それが済むまでは遺体を運ぶことはできない。処置が済んでいることが確認できた木野は病室の扉をノックした。

『コンコン』
「はい」中から女性の返事がした。
「失礼いたします。この度はご愁傷様です。故人様を霊安室へとお運びいたしますので、お荷物をまとめていただき、ご一緒にお願いいたします。」
木野は慣れた口調で遺族に退室の準備を促した。

亡くなったのは山口正義(享年78歳)、死因は敗血症であった。
病室には故人の妻・敏子と長男・正一の夫婦、それに孫2人の計5人がいた。
泣いているものはいなかったが、みんな暗い表情で、特に妻の敏子は疲れ切っている様子だった。

「それではちょっと失礼します。清水君、ストレッチャーを入れて」
清水は個人の寝ているベッドにストレッチャーを横付けした。
木野は故人に軽く一礼をし、掛布団を取り、
「それじゃ俺が頭と体を持つから、お前は足を頼むな」小声で清水に指示をした。
「はい」

二人はベッドの上で膝立ちになると、故人の体のしたに手を深く入れた。
「せーの」
木野の掛け声で故人のからだを持ち上げ、ベッドからストレッチャーに横すべりするように移動させた。
ベッドから降りた木野は故人の顔に白い綿布を掛け、下に敷いてあったシーツで体を包んだ。

そして、
「皆様ご用意はよろしいですか?」遺体を移動する準備が整うと、遺族に声を掛けた。
「はい」長男の正一が返事をした。
「それでは霊安室までまいります。皆様も後についてお進みください」

木野がストレッチャーの前方を持ち、先頭をあるく。
清水は後方から押しながら、遺族を誘導していく。
遺族たちは故人が入院中に使用していたと思われる多くの荷物を分担して持ち、後に続いた。

廊下には何人かの看護婦が見送りに出ていた。妻の敏子は何度も頭を下げてお礼を言い、それからエレベーターに乗り込んだ。

木野と清水は故人を乗せたストレッチャーをそっとエレベーターから降ろし、また遺族を先導しながら長い廊下を進んでいく。


霊安室の前で、木野が観音扉を大きく開け、清水がストレッチャーを押して中へと入っていく。

そのまま待合所の奥の安置場所まで行くと、ストレッチャーの脇に移動式の焼香台をセットした。


焼香台には中央に香炉、向かって右に香炉、向かって左に造花、右にはろうそくと線香が立ててあり、香炉の奥には[三界萬霊之位]と書かれた位牌が置かれていた。

清水はろうそくに火をつけ、遺族に向かって、
「それでは荷物をそちらの待合所に置いて、線香をあげて下さい」と告げた。

遺族たちは待合所に荷物を置き、安置されている遺体のところまで来て、立ち止まった。
「さぁ、おばあちゃんから」長男の正一が母の敏子に最初に線香をあげるよう促した。

「それじゃあ……」と敏子が焼香台の前まで歩み寄った。

シーツに包まれた故人をジーッと見つめ、右手で線香を一本取り、ろうそくで火をつけた。
そして、煙が上がるその線香を香炉に立て、目を閉じ、合掌をした。

「うっ、うっ」
すると敏子はそのまま、すすり泣きを始めた。
それを後ろから見ていた家族たちも、今まで我慢していたものが堪えられなくなり、目頭を押さえていた。

「おばあちゃん……」
いつまでも焼香台の前で合掌しながらすすり泣いている敏子を、孫娘が待合所まで連れて行き、椅子にそっと座らせた。


そして他の家族たちも一人ずつ線香をあげ、故人の冥福を祈って合掌した。

「このあと、故人様をどちらにお連れになりますか?」
一旦事務所に下がって白衣を脱ぎ、スーツ姿で現れた木野は、ゆっくりとやさしく話し掛けた。

「はい、入院が長かったので、一旦自宅に連れて帰りたいと思います。」
敏子がか細い声で答えた。

「そうですか。それでは私どもの寝台車でお送りいたします」
「あっ、でもうちは地元で商売をしておりまして、近くに内田さんという親しい葬儀屋さんがありますから、そちらにお願いしようと思っているのです。」今度は正一が答えた。

「それは心強いですね。ご自宅はどちらですか?」
「大森です」
「大森ですか……ちょっと遠いですね」
「そうなんです」

「ここもあまり長い間、ご遺体を置いてはおけませんので、それではご自宅にお送りするのだけでも私どもでいたしましょうか?
そして帰ってから落ち着いたところで、その葬儀社さんに連絡を取られてはいかがですか?」

「はあ……」敏子は返答に困った。

「おばあちゃん、そうしましょう。ねえ、あなた」正一の妻が言った。
「そうだな、今から呼んでもだいぶ時間がかかるだろうしな。おばあちゃん、そうしよう」正一も賛成した。

「そうだね、それじゃ家まで送ってもらうのだけ、お願いしましょうかねえ」
「かしこまりました」木野は”しめた!”と思った。

「それでは準備をいたします。お棺は一般的なものと、ちょっと良いもの、最高のものとございますが、いかがいたしますか?」
「棺にもう入れるんですか?」敏子が驚いたように聞いた。
「そうですね、やはりこのままでは故人様がかわいそうですから」
「はあ……」敏子がいぶかしげに言うと、木野が畳み掛けるように話を続ける。
「ご自宅に着いたとき、どうしてもご近所の目に触れますし、中にはそれを不快に思う方もいらっしゃいますから」

「まあ、どうせいずれは棺に入れなくちゃならないんだから、お願いしようよ」正一が言うと、
「でもうちはそんなに裕福じゃないからねえ、それじゃ、お父さんには悪いけど、一番安いので我慢してもらおうかねえ」敏子が渋々了承した。


「わかりました。それでは、一般的なお棺をご用意させていただきます」
「清水君、いいかな?」

木野と清水は棺を取りに事務所に入っていった。敏子がまだ不満そうな顔をしているのに気付いた
正一は、「おばあちゃん、お葬式は内田さんのところにお願いするんだし、棺くらいいいじゃないか」
と、諭すように言った。


「まあ、ここでお世話になったからねえ……でも病院から連れて帰るときに、もうお棺に入れちゃうもんかねえ……」
敏子は故人の方に目をやり、静かにそう言った。

実際は納棺を済ませてから自宅に帰ることはほとんどない。
これは葬式を受注できなかった病院出入りの葬儀社が、せめて棺だけでも売りつけるための常套手段に過ぎなかった。

間もなく、木野と清水が別のストレッチャーを押して奥から出てきた。
そのストレッチャーにはクリーム色の布張りがされ、百合の花が散りばめられるように描かれている棺が乗せられていた。


清水はろうそくの火を消した後、焼香台を隅にどかし、木野が棺の乗ったストレッチャーを故人が寝ているストレッチャーに横付けした。
そして二人は両方のストレッチャーを膝くらいの高さまで低く調整し、故人を包んでいたシーツをひろげた。
「お待たせいたしました。どうぞ皆様お集まり下さい」
木野の指示で遺族たちが個人の周りを囲んだ。


「それでは皆様の手で故人様をお棺にお納めいただきます。どうぞお体の左右から手をお添え下さい」
遺体は遺族たちと木野、清水の計14本の手で支えられて宙に浮くと、次の瞬間、棺へと納まっていった。

「お体が痛んではいけませんので、ドライアイスだけは当てておきますね」
「はあ……」
木野と清水は遺族たちに考えるひまを与えず、用意していたドライアイスを遺体の上に置き始めた。

ドライアイスを当て終えると、
「それではお蓋をさせていただきます」棺に蓋をし、あっという間に納棺を終えてしまった。

 

「以上で、ご納棺も済みましたので、ご準備がよろしければ、間もなく出発させていただきます。
皆様、お帰りはお車ですか?タクシーを呼びますか?」
「ええ、車で来ていますので……」
「そうですか、それでは、寝台車で後ろをついていきますので、先導してくださいますか」
「わかりました」

木野と正一の簡単な話し合いが終わると、今度は敏子が木野に話し掛ける。


「あのう、寝台車にもだれか家族が乗った方がいいですよねぇ?」
「いや、寝台車は狭いので、どうぞ自家用車にゆっくりお乗りください」
「そうですかあ……」

敏子は心の中で、”お父さん寂しくないかねえ”と思っていたが、口に出すのをためらった。


本当なら家族が一緒に寝台車に乗るのが普通だが、葬儀社の人間は煙草を吸う者が多い。


木野と清水もかなりのヘビースモーカーであったが、病院の規定で霊安室の事務所は禁煙になっていた。
つまり、寝台車に乗っているときは、二人にとって大切な喫煙時間なのである。
遺族が一緒ではそれもままならなくなる。だから寝台車には乗せたくなかっただけなのだ。

木野は清水と二人で棺を寝台車に運んだ。
霊安室の奥にある事務所の脇をぬけると、ここにも観音扉があり、さらに進むと駐車場になっている。


寝台車はすでに準備されており、棺はハッチバックの後方から乗せられた。
遺族は見送りに出てきた担当医と看護婦に丁寧にお礼を言い、自家用車に乗り込んだ。
寝台車は清水が運転し、木野は助手席に乗った。
そして、正一が運転する車の後を追い、病院を出発した。

『シュポッ』
「なんかいろいろうるさいことを言う奥さんですね」清水がさっそく煙草に火をつけ木野に言う。
「たいしたことねえよ」木野も煙草を吸いながら微笑して答えた。
「あとは枕飾りをして……どれくらい頂くかだな」
「40万くらいですか?」
「そうだな、まあ家を見てからだけど……もう少しがんばってみるか」

葬儀社の担当者は自宅を見て皮算用することが多い。
遺族の『あまりお金がないので』という言葉には最初から聞く耳を持っていない。

病院を出て小一時間、2台の車は自宅に到着した。
「でけーじゃねえか」木野は車を降り、値踏みをするように家をジロジロ見ていた。

「今、仏間を片付けますので」
自家用車の後部座席から降りた敏子は、そう言いながら先に家の中に入って行った。
家族たちもすぐ後に続いて行く。
「どうぞごゆっくり」木野が親切そうに言う。

「じゃあ、お願いします。」
5分ほどすると、玄関から正一が顔だけ出して木野たちに声を掛けた。


「はい、かしこまりました」
木野と清水は寝台車から棺を降ろし、家の中へと運び入れた。
敏子が指定した部屋には仏壇があり、その手前に北枕にして棺が安置された。

「故人様が帰られたのですから、お線香をあげなくてはいけません。
今、準備をいたしますね。」
「いえ、このとおり、お仏壇がありますので」木野の言葉に敏子が必要ない旨の言葉を返す。
「いえ、お仏壇は閉めなければいけません。お焼香用具は別に用意するものなのです」
「そうなんですか、それじゃ仕方ないねえ……」

木野の説明に敏子も言うことを聞かざるを得なかった。
確かに宗派によっては仏壇は閉めておくが、木野にとっては焼香用具を売りつける、いい口実に過ぎない。


木野が仏壇を閉め、部屋の中にある鏡や人形に半紙を貼っている間に、清水が寝台車から簡便な経机と安価そうな仏具を持ってきて、棺の前に用意し始めた。

『ピンポーン』それから少しして家のチャイムが鳴った。
「失礼します。枕花をお持ちしました」
「はい?枕花?」玄関に応対に出た正一が戸惑っていると、
「ああ、こっちに運んで」
奥から木野が花屋に指示を出した。移動中の寝台車から発注していたのだった。
「お花は欠かせませんから」そう言って経机の左右に、アレンジされた篭花を置いた。

「どうぞ、準備が整いましたので、お線香をあげて下さい」
清水が遺族に焼香を促し、順番に線香をあげさせた。
木野は寝台車の助手席でなにやら書類に書き込むと、部屋に戻ってきた。

「それでは私どもはこれで失礼いたします。こちらは請求書です。
お振り込みで結構ですので一週間以内にお願いします」
敏子に請求書を手渡した。

「えー?何ですかこの金額は!」敏子が請求書を見て声を上げた。
「どれ?」
その声に後ろにいた正一が敏子から請求書を取り上げ目をやると、そのまま絶句してしまった。


「65万1千円?遺体を運んでもらっただけで?」
敏子が木野と清水を交互に見て声を震わせた。

「はあ?『だけ』と言われましても……明細にあるとおり、お棺が40万円、ドライアイス処置台が3万円、寝台車での搬送費が9万5千円、そして枕飾り、ああこれは先ほどご用意いたしました焼香用具ですね、これが5万5千円、それに枕花が一対で4万円、消費税を入れますと65万1千円となります」

「棺は一番安いのでいいと言ったじゃないですか」今度は正一が語気を強めて言う。
「はい、当社の商品のなかでは一番、一般的なものをご用意させていただきました」
「それで40万ですか?いくらなんでも高過ぎますよ」

「そう言われましても、他にあったお棺は60万円のものと100万円のものですから。
それにお父様、意外と背が大きかったので、長尺と言いまして2尺5寸ほど大きいものにしたんですよ。
病室でベッドからお移しする際も、うちの人間が腰を痛めちゃいましてね」

木野はそう言って清水の顔を見た。清水は木野と目が合うと、背中を少し丸め、自分の腰に手をやった。
あまりにもわざとらしく、恩着せがましい二人の態度だ。

「そんなこと言ったって……」正一は納得がいかず、食い下がる。

「正一、もういいよ。しょうがないよ。お父さんもきっと上から見ているから、これ以上もめるのはやめようよ……」
「でも、おばあちゃん……」
「わかりました。一週間以内に振り込みますから、これでお引き取り下さい」
敏子は正一をなだめ、観念したかのように小さな声でそう言い残すと、奥に引っ込んでしまった。

「はい、それでは失礼いたします」
木野と清水は一礼して家を出た。二人は寝台車に乗り込むと、清水が学徳医科大病院へ向け、車を発進させた。
清水の腰はもちろんなんともない。

『シュポッ』『ふーっ』
「上出来だな」
木野が助手席で何度か小さく頷きながら煙草を吸う。


「いやあ、木野さん、さすがですね。まさか65万も吹っ掛けるとは思いませんでしたよ」
「まあ、仕事を取り損なったんだから、これくらいは稼がせてもらわんとな」
「納棺して、自宅に送り届けただけでこんなにもらえれば、下手な葬儀よりよっぽど効率がいいですよね」

「でもよお、会社だって多額の金を使って病院に入らせてもらってるんだし、俺たちだってあれだけ病院の連中に尽くしてやってるんだからなあ、
他で決まってるって言われても、『はいそうですか』じゃ引き下がれねえだろ」
「まあ、そうですけど」

「今年に入って受注率どれくらいだと思う?」
「そうですねえ、3割くらいですか?」
「良くて2割、下手すりゃ二割切ってるんじゃねえかな」
「そんなにわるいですかねえ」
「ってことは、10件下がって、決定は2件だよ。他の8件は俺たちからすれば、ただ働きみたいなもんだろ」
「そうですね」

「だから取れるところからは1万円でも、千円でも頂いておかなくちゃな」
「なるほど。しかし65万円は僕には無理ですね」
「馬鹿、何言ってんだよ。俺たちは法に触れるようなことはしてないだろ?
ただ亡くなった方と遺族に対して、誠心誠意尽くしているんだ。
そこに発生した料金は別に脅し取ろうとしたわけでもない。
向こうが払うと言ってるんだから何も後ろめたいことなんかねえだろうが」

「はい、そうですよね。僕も木野さんを見習います」
「とにかく、どうやって少しでも多く金をぶんどるか、常にかんがえていることだな」
「はい、わかりました!」

清水には木野が責任者になってから、学徳医科大病院での売り上げがなぜ上がっているのか、改めてわかったような気がした。


>>第3話「白衣を脱いだ天使たち」へ続く




 

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